2026-10-03(土) 展覧会「世界に何かを残したい」オープニングイベント
10 月 3 日(土)から 11 月15日(日)まで、東京外国語大学研究講義棟 1 階ガレリアにて、展覧会「世界に何かを残したい――レーニャ・シュピゲルの日記の向こう側」が開催されています。東京外大とクラクフにあるガリツィア・ユダヤ博物館の共同開催。初日である10月3日はオープニングイベントとしてガリツィア・ユダヤ博物館の館長トマシュ・ストルクさんの講演がありました。
レーニャ・シュピゲル(1924年〜1942年)というユダヤ人女性が1939 年 1 月から 1942 年 7 月にかけてプシェミシルで執筆した日記。第二次世界大戦期のポーランドにおけるユダヤ人の過酷な運命を綴った極めて貴重な歴史史料を知るとともに、当時のことを自分ごとのように少しだけではあるけれども考えることができ、自分は何も知らなかったんだなと痛感しました。
プシェミシルという町自体を知らなかったのですが、東西ヨーロッパの境界に位置するという地理的条件があり、ポーランドのほかの都市よりももともとユダヤ人が多い場所でした。
1939年には町を流れるサン川を境にソ連とドイツに分割統治され、ドイツがソ連に攻め込んで町全体がドイツ軍に占領されるとユダヤ人はダビデの星の腕章の着用を命ぜられ、迫害されるようになりました。さらにドイツ軍は、非ユダヤ人に対してユダヤ人の隣人から距離を置くよう呼びかけました。ドイツ側は、単にユダヤ人を迫害しただけではなく、ポーランド人を含む非ユダヤ人住民とユダヤ人との社会的な結びつきを断とうとしたのです。
ポーランド人住民全員がそれを盲目的に受け入れたわけではない。そうはいうものの、1942年11月には、ユダヤ人を自宅に受け入れたり、食料を与えたり、隠したりしたポーランド人やウクライナ人を処刑すると警告するドイツ当局のポスターが掲示されたという公式資料も残っており、ポーランド人も難しい立場に置かれていたんだなと思います。人の命、自分の命に関わることですから。自分がポーランド人だったとしたら、屋根裏部屋にユダヤ人を匿う勇気はあったのだろうか。簡単には想像できません。
なぜナチス・ドイツはユダヤ人を目の敵にしていたのか、そんなこともよく知らない自分ではありますが、この話はユダヤ人に関する話ではなく現代の人類全体にも関わる話だなと痛感しました。
館長の講演の後はガリツィア・ユダヤ博物館の作成した30分のアニメーション映画の上映。実写とアニメーションを融合させてレーニャ・シュピゲルの気持ちを言語化した短編映画で、日本では見たことのない斬新な作風でした。
このオープニングイベント、色々考えるところがあり、自分にとっては大変有意義な時間となりました。

展覧会の様子。研究講義棟の1Fガレリアに10数枚の光るパネルが設置されています。小規模ではありますが、それでも十分情報量は多く、こんなこと言うのもおこがましいですが、よくできたパネルだと思いました。
