2026-07-12(日) ヨルダン映画『インシャラー・ワラド』が映し出す不条理と、意外な「日常」のリアル

こんにちは!先日、東京外国語大学の「TUFS Cinema」にて、非常に見応えのある映画を観てきました。

作品の名は『インシャラー・ワラド(原題:Inshallah walad)』

「きっと男の子だろう」という意味を持つ、2023年制作のヨルダン・フランス・サウジアラビア・カタール・エジプト共同制作作品です。カンヌ国際映画祭でも賞を獲得するなど、世界的に高く評価された社会派ドラマです。

今回は、この映画が描く一風変わった法律の世界と、私たちが抱くイメージを覆すヨルダンのリアルな日常、そして映画の裏側にいた「日本人」について語ってみたいと思います。

※詳しいストーリーのネタバレは割愛していますので、未鑑賞の方も安心してお読みください。

主人公のナワルは、ヨルダンの首都アンマンに暮らす女性。一人娘を育てながら介護士(看護師)として働く彼女ですが、ある日突然、夫を亡くしてしまいます。悲しみに暮れる間もなく、彼女の前に立ちはだかったのが、ヨルダンの「家父長制(かふうちょうせい)的な相続法」でした。
実はヨルダンの相続法(イスラームの法制度がベースとなっています)では、「亡くなった夫に息子(男の跡継ぎ)がいない場合、遺産の一部(アパートや財産)が夫の兄弟など、夫側の親族に分配される」という決まりがあるのです。

ナワルには娘しかいません。そのため、夫の兄弟から「アパートの権利」や、さらには「娘の養育権」まで脅かされる窮地に立たされてしまいます。自分と娘の生活を守るため、彼女は法律の不条理と闘うことを決意するのです。

この作品を観てまず強く感じたのは、以前に観たイラン映画との大きな違いでした。

ヨルダンの映画産業は、国からの厳しい検閲下にあるわけではありません。今回の『インシャラー・ワラド』も、政府の目を盗んで作られたようなゲリラ的な作品ではないのです。

作中で描かれる法律制度は、私たちから見れば一見「不条理」に思えます。しかし映画は、その制度そのものをひっくり返そうと激しく抵抗するのではなく、「制度は制度として厳然と存在するものとして受け入れ、そのルールの中でなんとか知恵を絞り、苦境を乗り越えようとする姿」を描いています。このリアルなアプローチが、かえってサスペンスフルで重厚な人間ドラマを生み出していました。

中東の国に対して「厳しい宗教的なルールに縛られている」という先入観を持つ人は少なくありませんが、この映画が映し出すヨルダン市民の生活は、驚くほど私たちの日常と地続きでした。

キリスト教徒の家庭も登場します。実はヨルダンでは国民の約10%がキリスト教信者と言われており、宗教を理由に迫害されることもなく、イスラム教徒の女性とごく普通に会話を楽しんでいます。

となると、当然のことながら、すべての女性がヒジャブを被っているわけではありません(作品中のキリスト教徒の女性は一度も被りませんでした)。

 スマートフォンが広く普及しています。 マッチングアプリも登場します。現代的でリアルなライフスタイルがそこにはありました。

映画のエンドロールを見ていると、ある日本人らしき名前に目が留まりました。気になって調べてみたところ、この作品の撮影監督を務めていたのは小野山要(おのやま かなめ)さんという方でした。

小野山さんは慶應義塾大学を卒業後、海外に渡りグローバルに活躍されている気鋭のカメラマンです。大学のサイトにも彼のインタビューが掲載されています。

 リンク: 慶應義塾大学「三田評論」スポットライト(小野山要氏インタビュー)

「どういう経緯でこのヨルダン映画の撮影監督に抜擢されたのだろう?」と非常に興味が湧きましたが、同時に、私たちがヨルダン市民の生活にまったく違和感を抱かず、自然に共感できた一因は、この「日本人の感性・視点」を通して切り取られた映像だったからなのかもしれません。

最後に、個人的にとても謎であり、深く考えさせられたポイントがあります。

主人公ナワルは「夫が残した借金を返済するために、夫の車を売り払え」と、夫の兄弟から執拗に責め立てられます。しかし彼女は、自分自身は車の運転ができないにもかかわらず、最後まで頑なにその車を売ろうとしませんでした。

なぜ、彼女はそこまで車にこだわったのでしょうか?ヨルダン社会において、車を所持することは特別なステータスなのでしょうか。

客観的にヨルダンの交通事情を見てみると、首都アンマンは坂が多く、公共交通機関が十分に発達していないため、車は生活に直結する重要なインフラです。しかしそれ以上に、ナワルにとってあの車は、単なる乗り物ではなく「亡き夫との絆の証明」であり、男性優位の社会で「唯一、自分が守り通せる自分名義の財産」だったのではないでしょうか。運転できなくても、手放してしまえば完全に相手の言いなりになってしまう。あの車は、彼女の最後のプライドだったのかもしれません。

皆さんは、彼女が車を守り抜いた理由をどう捉えますか?

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