2026-07-09(木) 映画『捨てられたものたちの詩人』が映す、イラン社会のリアルと閉塞感
先日、東京外国語大学で開催された上映会で、2005年製作のイラン映画『捨てられたものたちの詩人』(原題:Shāʻer-e zobāle-ha)を観てきました。
「中東の映画は退屈だよ」と周りから言われていたこともあり、実はさほど期待値を上げずに足を運んだのですが、結果として70分台というコンパクトな上映時間も手伝い、最後まで一気に引き込まれてしまいました。
この映画の底に流れるのは、独特な「閉塞感」。なんとなく、国家の厳しい検閲下で名作を次々と生み出した、かつてのポーランド映画にも似た空気感。
今回は、この映画が描き出したイランの過酷な現実と、その背景にある社会構造について、客観的なデータを交えながら紐解いていきたいと思います。
そもそも「イラン」とはどんな国か?
映画の背景を理解するために、まずはイランという国家の歴史と仕組みを簡単におさらいしておきます。
1979年以前:パフレビー朝(イラン親米政権)
当時はアメリカの傀儡とも言える政権が国を握っていました。しかし、一部の富裕層ばかりが潤い、一般国民の生活は一向に豊かにならず、不満を募らせた民衆によるデモが激化します。
1979年:イラン革命
この革命によってパフレビー朝は崩壊し、イスラム教の戒律を基礎とする「イスラム国家」が誕生しました。以降、イランは今日に至るまでアメリカと激しく敵対することになります。
現在の政治体制:「二重権力」の構造
イランには国民が選ぶ「大統領」がいますが、国のトップは別にいます。イスラム教の専門家である「最高指導者」が国家の最高権力を握っており、大統領よりも一段高い権限を持っています。
2005年のイラン社会と「難関を突破した清掃員」の皮肉
本作の主人公は、大学進学と詩人になる夢を持ちながらも、不況で夢を絶たれた青年です。物語は、そんな彼が失業者の多いテヘランで、ようやく手にした「清掃員」の職をめぐって展開します。
映画の冒頭では、当局の失業者対策として300人の雇用が創出される様子が描かれます。しかし、その選考試験が凄まじいのです。
難しい数学の試験、信仰の深さを測る宗教試験、そして反抗分子でないかを確かめる政治思想のチェック。これらすべての難関をクリアして、ようやくありつけた仕事が「薄汚れたつなぎを着た清掃員」という、強烈な皮肉から物語は始まります。
【客観データ】2005年当時のイランの現実
現在のイランの人口は9,000万人強(2024年時点)ですが、この映画が撮影された2005年当時でも、すでに300万人以上の失業者が存在していました。
当時は、比較的親欧米路線だったハタミ大統領から、保守強硬派のアフマディネジャド大統領へと政権が移る過渡期。経済の停滞と、若者の深刻な雇用不足が社会問題化し始めた、まさに「閉塞感」がピークを迎えつつある時代でした。
映画の後のトークセッションでも触れられていましたが、イランの若者の失業率は現在も極めて深刻です。職に就けない若者たちが、生きるための最終手段として「革命防衛隊」(通常の国軍とは異なり、イスラム体制を直接守るための精鋭武装組織)に入らざるを得ないような、逃げ場のない状況が今も続いています。
日本とは全く異なる、テヘランの清掃員の日常
作中に描かれるテヘランの清掃員たちの仕事ぶりは、日本のそれとは明らかに異なります。これが市民との会話を生む「重要な装置(演出)」になっていました。
* 夜間のゴミ回収: ゴミ収集車が稼働するのは夜。
* 家々への催促: 清掃員が直接家のチャイムを鳴らし「ゴミはありませんか」と催促して回る。
* チップの要求: 月末になると、清掃員が市民に直接チップを要求する。
この距離感だからこそ、主人公の清掃員と、婚約者を失い国外脱出のビザを待ち続けるヒロインの女性との間に、淡い交流と物語が生まれます。
一方で、清掃員たちの私生活は衝撃的です。
彼らはドアもまともについていない、ベッドしかない狭いプレハブ小屋で共同生活を送っています。日本人の感覚からすれば、ほとんど「ホームレス」に近い状態です。
ここで疑問が湧きます。「これはリアルなのだろうか?」と。
厳しい試験を勝ち抜いてようやく国に雇われたのに、待っているのがこの生活だとしたら、もし試験に合格できず失業したままの人は、一体どんな生活を強いられているのでしょうか。
映画に登場する清掃員たちは、みな一様に心に影を抱えています。もちろん自分の仕事に満足などしていません。明るい未来を描くこともできず、こんな劣悪な環境しか用意できない国家に絶望しつつも、自分たちには何も変えられないという「虚無感」が画面全体に漂っていました。
なぜ「詩人」なのか? イランにおける詩の重要性
ここで、なぜ主人公が「詩人」を目指していたのかという点について、客観的な文化的背景を補足しておきます。
日本では詩というと少し敷居が高く感じられますが、イラン(ペルシア文化圏)において「詩」は生活の一部であり、最大の娯楽であり、そして「抵抗の武器」でもあります。
イラン人は日常会話や政治的な議論の中でも、ごく自然に1000年前の古典詩を引用します。そして、国家の厳しい検閲によって「言いたいことが直接言えない」抑圧された社会だからこそ、作家や表現者たちは、詩的な暗喩を使って、当局の目をかいくぐりながら社会風刺や本音を表現してきた歴史があります。
本作『捨てられたものたちの詩人』というタイトル、そして劇中で曖昧かつ詩的な表現が随所に散りばめられているのは、まさにこの「検閲対策」であり、同時に「イラン人にとっての魂の叫び」を表現するための必然的な手法だったと言えます。
6年間の上映禁止と、海外での受賞がもたらす光と影
この映画は、完成後6年間もの間、イラン国内での上映が禁止され、その後も一部でしか公開されませんでした。
イラン当局の検閲基準は非常に曖昧で、何が引っかかったのかは公式には明かされていません。一説には、脚本を手掛けたのがモフセン・マフマルバーフ(※イランを代表する世界的映画監督であり、反体制的な姿勢でも知られる人物)だったからだとも言われています。
しかし、普通に考えて「どれだけ努力して厳しい試験を乗り越えても、こんな底辺のような仕事にしかありつけない国家である」という不都合な現実をそのまま描写している時点で、イラン当局が快く思うはずがありません。国内外で広く支持されるような内容ではなく、本来なら永久にお蔵入りになってもおかしくない作品でした。
それでも本作は、2005年の完成翌年(2006年)には、タジキスタンやウクライナの国際映画祭で賞を獲得しています。
ここで新たな疑問が頭をよぎります。
「国内で上映禁止の作品を、どうやって海外の映画祭に出品できたのだろうか?」
そして、作品が海外で脚光を浴び、拍手喝采を受ければ受けるほど、本国に残された監督や出演者たちは、当局から執拗な嫌がらせや弾圧を受けることになってしまうのではないか……。
映画が放つ静かなメッセージの裏には、表現の自由を命がけで勝ち取ろうとした、映画人たちのリアルな恐怖と覚悟が隠されているような気がしてなりません。77分という短い尺の中に、イランという国家の歪みと、そこに生きる人々の息遣いが重く詰め込まれた、深く考えさせられる一本でした。
